公園で大人気の「シャボン玉おじさん」 きっかけは阪神大震災だった

 子どもたちは無数の小さなシャボン玉を追いかけ、人が入れそうなほどの大きなシャボン玉には精いっぱい手を伸ばして触ろうとする。「金ちゃん」こと金川佳史さん(58)が開く「冒険シャボン玉」の会場は、歓声であふれている。

 和歌山北部と大阪南部の公園を中心に、毎週末のようにシャボン玉を作って遊ぶイベントを開いている。キャラクターの帽子をかぶり、エプロンにはたくさんの缶バッジ。「どこで買ったの?」「ポケモン好きなの?」。子どもたちが話しかけてくる。

 そんなシャボン玉おじさんは、20年以上子どもと遊んできた体験遊び作りのプロだ。

 1995年の阪神淡路大震災で、何かしなくてはと3カ月間神戸で災害ボランティアをした。和歌山に戻ってからもボランティア活動に関わりたいと思い、青少年の健全育成活動をしている和歌山市BBS会に加わった。そこで2002年から仲間と始めた「大人の小学校留学」がいまの活動の原点になった。

 大人が小学生とともにクラスで机を並べて授業を受け、給食を食べて、終わりの会で下校する。低学年の子どもたちなら、大人たちをまるで同い年の友達のように受け入れてくれ、放課後も一緒に遊んだ。「子どもの世界を知りたい」という目的に共感した先生たちの協力を得て、月に2、3回を3年ほど続けた。教育を学ぶ学生たちも参加する取り組みになった。

 電話で子どもたちの悩みを聞くチャイルドラインや、禁止事項をなるべく設けず自由に外遊びができるプレーパークの立ち上げにも関わり、05年には「冒険あそび倉庫」という団体を立ち上げた。

 コミュニティセンターで工作したりたこ焼きを作ったり。「冒険旅行」という遠足では、大人がプランを用意するのでなく、子どもが行きたいところへ行った。「大阪の心斎橋に行ってご飯を食べる」計画など、自分の好きなものを自分でお金を払って買うというだけで子どもには特別な体験だった。

 2000年代はまだ地域に子どもが多く、毎回20~30人と一緒に活動した。しかし少子化に加えて遊びの選択肢も広がる中で、冒険あそび倉庫に来る数は徐々に少なくなり、コロナ禍が追い打ちをかけた。

 再びたくさんの子どもたちと出会うために、2022年の春から力を入れ始めたのがシャボン玉だった。メンバーは5人。研究して器具を手作りし、シャボン玉作りの体験も毎回開く。SNSの告知を見て何度も来る子もいるし、ウェブサイトから活動に寄付してくれる人もいる。

 ただ、体験遊びもシャボン玉もあくまでたくさんの子どもと出会うための仕掛けにすぎない。その子たちが困ったときに助けになりたいと思っている。

 昔遊んだ子どもたちが「金ちゃんと会えて楽しかった」「遊びでやったことがきっかけで大学に行った」と言ってくれることもある。

 成長してくいく子どもたちに願うのはこれだけ。

 「楽しく生きろよな」(榊原織和)

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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