内気な僕を変えた日本語 八雲の母国を離れ、新しい人生に出会った

 日本語に出合ったのは高校生の時だった。内気だった少年は、はるかかなたの国の文化に心を開かれた。自己の歩みを確かなものにしようと、長じて松江で暮らすように。33歳になったが、小泉八雲と同じ母国アイルランドには帰らずに、「再出発」を期している。

 松江市の国際交流員を、今年夏まで6年間務めた。学校などでの出前講座でアイルランド文化を語った。小泉八雲記念館で開かれた催しでは通訳をこなした。記念館の小泉凡館長は「私たちの思いを受け止め、的確に伝えられる人材」と評す。「能力の高さに加え、深い思いが根っこにあるせいでしょう」

 通訳としてその場の人々の意思疎通をスムーズに図っていく。その姿からは想像しにくいが、実は子どもの頃は内気だった。小学校の頃、いじめに遭ったのが原因だ。「周りの顔色を気にしすぎるタイプでした。嫌われたくなかったから」

 17歳の時、ダブリンにあっ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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