「これで結構スピードを出して滑ったもんです」
札幌市時計台近くにある老舗「マリヤ手芸店」会長の松村耕一さん(71)は、店先のスキー板を手に懐かしそうにつぶやく。
50年前の1972年札幌冬季五輪のときは、東京の友人と市内やニセコのスキー場で滑ったり、五輪競技を見に行ったりした。まちは五輪で盛り上がり、日本人形を扱っていた手芸店には外国人客が訪れた。
51年生まれ。いまの店舗がある場所で育ち、まちの変化をつぶさに眺めてきた。幼い頃の店は木造2階建て。周りもそんな家で、子どもたちで三角ベースの草野球や陣取りごっこをした。時計台の辺りには紙芝居がよく来ていた。車はほとんど走っておらず、市電が市民の足だった。
60~70年代にかけ、札幌市は右肩上がりで人口が増加していく。60年の約52万人が70年には約101万人。10年で2倍に膨れあがった。札幌は五輪を経て72年4月、政令指定都市に移行する。
東京の大学へ行った松村さんが帰省するたび、まちは変わっていった。地下鉄工事が進み、車が増え、市電は縮小した。中心部はビルが増えた。手芸店の売り上げも伸び、従業員は一番多い時で30人働いていた。
最近は道庁前一角も再開発が…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル