写真館「らかんスタジオ」は、人気の街となった東京・吉祥寺の変わりゆく姿をカメラで切り取り、時代の変遷を示す貴重な記録を多く残してきた。昨年11月に92歳で亡くなった2代目社長、鈴木育男さんのライフワークだった。
らかんスタジオ、開業の地は米NY
開業の地は米ニューヨークだった。鈴木さんの父・清作さんが海の向こうで店を開いたのは1920年。世界大恐慌を受けて30年に帰国し、現在の杉並区阿佐谷へ。その翌年に誕生した鈴木さんは、ニューヨークの漢字表記「紐育」にちなんで育男と名付けられた。
写真館はその後、現在の武蔵野市吉祥寺に移転。戦時中は三鷹に店ごと疎開した。終戦後も食料不足が続き、写真は「不要不急」の存在だった。店は開店休業状態が続き、一家は雑貨店や総菜店を開いて生計を立てていたという。
鈴木さんは早稲田大を卒業後、写真専門の短大で技術を学ぶ。64年に他界した清作さんの後を継ぎ、33歳で経営者に。戦後復興のなか、カメラが少しずつ普及し始めた時代だった。「1枚10円のL版をプリントしていると、10円札を次々に印刷しているような錯覚を起こし、罪悪感がちらついたこともあった」。手記に当時の思いを記している。
人気の街「開花する姿をこの目で」
経営と並行して力を注いだの…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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