処理水放出が映し出す日本社会 停滞の福島で「諦めたくない」と願う

AFW代表・吉川彰浩さん寄稿【後編】

原発事故の被災地で「対話」づくりに努めてきた吉川彰浩さんは、処理水の放出を前に虚無感にとらわれたと言います。後編では、その理由とこれからの覚悟をつづります。

 双方向コミュニケーションが政府の方針になった頃、「対話の場」の活動から私は身を引いた。数十年間、延々と続くであろう廃炉に関する「対話の場」を、“活動家もどき”(活動家は社会を変革し組織を変えルールを作れる存在だと思います。自分はまだそこまで到達していません)の私のような者がつくっているうちは、政府・東京電力が主体性を持つことができない。彼らが率先して地域に関わることで、それは自然にできてくる。話し合いながら地域の納得感をもって廃炉が進められるという“文化”の定着を望んでの決断だった。

 私は、福島第一原発から15キロそこそこ、隣町には避難区域も残り、事故の影響から町を立て直すというフェーズにある町で、一市民として暮らすようになった。すると、原発に関連する情報に触れる機会はみるみる減っていった。

 時折、家にチラシが届く。いかに安全に廃炉を実施しているかが伝えられる。しかし、それは震災前に、原発がいかに安全かを伝えていたころと重なって見える。廃炉の実態がどうなのか、意識して情報を集めなければ、福島県外の方とさほど変わらない質と量の情報しか得られない。福島第一原発で働く人たちは身近にたくさんいるのに、彼らの思いも悩みも聞こえてはこない。守秘義務があるからだ。

 要は、“あちら側”が伝えた…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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