街の文房具売り場が「祝入園・入学」の文字に飾られてカラフルな鉛筆やノートでいっぱいになると、横浜市の清水茂美さん(67)は、感謝の気持ちとともに思い出すことがある。
60年ほど前。まだ米国統治下に置かれていた沖縄の宮古島から、さらに船で渡った伊良部(いらぶ)島に暮らしていた。離島のそのまた離島には子どもが多く、通っていた佐良浜(さらはま)小学校は1クラスに50人以上もいた。
家には水道も通っていない。集落の数少ない雑貨屋は、物を買うと、当時発行されていた英字紙「モーニング・スター」で包むのだった。遊び場の原っぱには沖縄戦の機銃弾が無造作に転がり、事故を恐れた大人から「石でたたいたらいかんよ」とよく注意された。そんな貧しい時代だった。
あれは図工の授業だったと思う。ある日、クレヨンのセットが本土の企業から児童一人ひとりに贈られた。のちの「ぺんてる」だ。箱のふたをあけた途端、薄いパラフィン紙の美しさに目を奪われた。その下には、初めて見る光沢が12本並んでいた。
島では絵の具もまだ売られていなかった。級友たちが飛び込む紺碧(こんぺき)の海も、お昼休みに裏山で食べた紫の桑の実も、断崖にへばりつく赤瓦の家並みも。周りはあふれんばかりに色に満ちていたけれど、子どもたちにはそれを表現するすべがなかった。
このクレヨンで何を描こうか――。
思いついたのは、空だった…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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