力道山は故郷に向かって叫んだ 師の思い胸にアントニオ猪木は訪朝へ

 プロレスラーのアントニオ猪木(猪木寛至)氏(79)が初めて北朝鮮を訪れたのは参院議員だった1994年9月。きっかけは人生の師と仰ぐプロレスラー、力道山だった。

 猪木氏は43年、横浜生まれ。中学時代の57年、一家でブラジルに移住した。力道山にスカウトされて60年に帰国し、プロレス界に入った。しかし63年12月、力道山は東京で暴力団関係者に刺され39歳で早世する。猪木氏は90年代に新聞記事で、力道山が朝鮮半島北部で生まれ、娘が北朝鮮にいると知った。

 力道山の民族名は金信洛(キムシルラク)。大相撲にスカウトされ「長崎生まれの百田光浩(ももたみつひろ)」と名乗った。63年1月、韓国を内々に訪問。北朝鮮との軍事境界線がある板門店で上半身裸になり、故郷の北に向かって「お母さん」「兄さん」と叫んだという。

 猪木氏は61年、付き人として力道山の新潟訪問に同行し、1日休みをもらったことがある。師匠はゴルフでもしたのだろうと思い込んでいた。実際は、力道山が北朝鮮からの船で来日中の長女・金英淑(キムヨンスク)氏と新潟港で会っていたことを、後に知った。

 猪木氏は、帰郷を果たせなかった師匠の代わりに訪朝したいと考えた。「師匠の故郷への無念の思いと叫び声を届けるのが、恩返しになる」

 94年7月に平壌への訪問を計画したが、北京空港金日成(キムイルソン)主席の急死を知らされ、中止に。9月に改めて訪朝すると、空港に金英淑氏が迎えに来ていた。

 平壌で金容淳(キムヨンスン…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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