在日朝鮮・韓国人や日本人配偶者ら9万人以上が北朝鮮に渡った「帰還事業」の開始から14日で60年になる。北朝鮮へ永住帰国する在日朝鮮・韓国人らを乗せた帰還船の第1便は昭和34年12月14日、新潟を出港した。地獄の日々を送ることになる帰還者に対し、北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝し、帰還事業を主導したのは、北朝鮮の指示を受けた在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)だった。
帰還事業は国交がない日朝の両政府に代わり、双方の赤十字機関が実務を担当した。北朝鮮には朝鮮戦争で失った労働力を補充する狙いがあった。日本の肉親が送る金銭や物資は帰還者らの手に渡る前に北朝鮮関係機関に横領されることが多く、「北にとって帰還事業は外貨、物資の獲得手段でもあった」(帰還者)。
日本政府にも当時、在日朝鮮・韓国人の生活保護の支出負担を軽減する思惑があり、事業を後押しした。これに対し韓国は、帰還者に南側出身者が多かったことから、北朝鮮への自国民の大量流入を懸念。在日韓国人の団体が反対闘争を展開したが、帰還事業は一時中断を経て59年まで実施され、約7千人の日本人配偶者らを含む9万3千人以上が北朝鮮に渡航したとされる。
北朝鮮が国家方針に基づいて周到に計画、実行した日本居住者の連れ去り行為だったという点で、帰還事業は「拉致」と同様とする見方もある。
北朝鮮による拉致を調べている特定失踪者問題調査会の荒木和博代表は「(帰還事業の)実態は甘言でだました誘拐。強引な手法だったのが拉致であり、両者は同等だ」と指摘する。脱北し、日本に戻った帰還者は200人を超えているとみられ、政府は「定住外国人」として受け入れている。多くが健康を害するなど後遺症を抱えており、荒木代表は「拉致とともに現在も続く問題と認識する必要がある」と訴える。
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Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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