北海道の「もう一つの世田谷」、75年前に開村のわけ

 札幌市の隣の北海道江別市に「世田谷村」がある。1945年の敗戦直前、首都の口減らしのため国が募った開拓団・拓北農兵隊に世田谷区から33世帯が加わった。うち、一家の柱が喜劇俳優、書道講師、国鉄技師といった18世帯は戦後も帰京せず、軟弱な泥炭地を開墾し、新天地に故郷の名をつけた。開村から75年、入植2世の5世帯が健在だ。

空襲と食糧難を逃れて北海道へ

 一行が上野駅から3日かけて江別の野幌(のっぽろ)駅にたどり着いたのは45年7月9日。「家はある、生活費も補助するという話に乗せられて来たんだけど、空手形だった」と山形トムさん(86)は振り返る。「農家の納屋に仮住まいでしたね」

 トムは本名だ。喜劇俳優だった亡父徳一さんが付けた。山形さんが生まれたころは「日本の喜劇王」こと榎本健一率いるエノケン一座に所属し、「息子は役者にする。覚えやすい名がいい」と当時人気のエノケンや古川ロッパに倣ってカタカナにしたという。第2次世界大戦が始まった39年ごろ、徳一さんが東宝へ移って一家は東京・浅草から世田谷の砧撮影所の近くに引っ越す。やがて戦局が悪化し、小学6年の山形さんを頭(かしら)に3人の子を養う徳一さん夫妻は、空襲と食糧難を逃れて北海道へ渡った。

拡大する羊を描いた作品を背に、絵筆を握る山形トムさん=2019年8月11日午後5時30分、北海道江別市

 ところが37日後、戦争が終わる。「東京へ帰ろう」とせがむ山形少年を父親は諭した。「帰ったって家も食糧もない。2~3年残って様子を見よう」

集落を「世田谷」と命名

 だが、前宣伝は絵空事で住まい…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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