子どもたちがいる小学校の校庭に落ちてきたのは、米軍ヘリの窓だった。あれから3年。「バリバリ」という耳をつんざくようなヘリの音がしても、子どもたちは空を見上げなくなった。様々な事故を目の当たりにしてきた校長は、「慣れ」への危機感と、変わらない基地被害へのもどかしさを募らせている。
12月上旬、沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校。校庭で、10人ほどの子どもたちがボールを蹴って遊んでいた。「ブンブン」という音がとどろく。隣接する米軍普天間飛行場からヘリが飛んできた。近づくにつれて「バリバリ」という強い音で子どもたちの声がかき消されたが、上空に目をやる子はいなかった。
3年前の12月13日、この校庭に普天間飛行場所属の大型輸送ヘリから7・7キロの窓が落下した。
「怖さが薄れてしまっているように感じます」。校庭が見える校長室で、校長の知念克治さん(58)はそう言った。
知念さんは嘉手納町の出身。自宅の道をはさんだ向かい側は、極東最大級と言われる米軍嘉手納基地だった。父は基地関係の仕事に就いていた。
夕方から基地で米軍機のエンジ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル