南極観測船や元軍事基地の公園…お台場が切り離せない意外な過去

 日中は大型ショッピングモールをそぞろ歩きし、夜はライトアップされたレインボーブリッジをゆったりと眺める……。お台場でそんな休日を過ごしてみたいと、記者(30)はかねて思っていた。広島県出身で、現地を訪れたのは高校の修学旅行の一度きり。今春の異動で初めて住むことになった東京。「ぶらりふらり」を書くことになり、それならとまずは取材で訪ねてみることにした。

 ところで、お台場ってそもそもどんなところなんだっけ。地図を見ると、北端に不自然なひし形がある。現地に着くと、「台場公園(第三台場)」と書かれた看板が立っていた。

 調べてみるとお台場は、1853年の黒船来航後、当時の徳川幕府が砲台設置のために築造した防衛拠点だったという。地元の品川区立品川歴史館によると、御殿山(同区)や伊豆半島などから土砂や石を運んで一帯を造成。将軍を指す「御」を付けて、「御台場」と呼ばれるようになった。当初は11基の築造計画があったが、財政難で完成したのは後の追加も含め6基まで。その後、海運の障害になるなどの理由で4基が無くなり、現存するのは台場公園として整備された第三台場と、その西側にある第六台場の2基だけだという。「ゆりかもめ」が走り、ホテルや商業施設が立ち並ぶ「お台場」は、戦後の東京港の整備の一環で造成されたもの。当時の「御台場」とは直接関係ないという。

 第三台場にはコンクリート製の砲台が二つある。当時、大砲の最大飛距離は約3キロ。黒船の接近を待って撃つ構えだったという。ただ当時のものは木製で、現在あるのは「同じような形で後に作ったもの」と学芸員。木製だった当時から、大砲が実戦に使われたことはないという。

 台場には他にも弾薬庫やかま…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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