慰霊碑を見つけたのは16年。任務を終えて帰国した後、マーシャル諸島での経験を生かし、戦死した父親を慰霊する日本人男性の旅に同行している途中だった。「何だろう」。立ち寄ったウォッジェ島の民家で、踏み石として横たわる細長くて四角い石に目を凝らした。「殉歿者之碑」などの文字が刻まれていたが一部は欠け、その時は何の石か分からなかった。 ▽赤誠隊 日本に戻り、たまたまマーシャル諸島の歴史についての本を読んで驚いた。そこには、戦時中に法務省が全国から受刑者を横浜刑務所(横浜市)に集めて「赤誠隊(せきせいたい)」を結成し、ウォッジェ島やテニアン島に派遣したことが記されていた。「時が過ぎると調べられなくなる。見て見ぬふりをすれば、一生後悔するかもしれない」という思いが、体を突き動かした。 森山さんは旧知の元駐マーシャル諸島大使に相談。知り合いの大橋哲・法務省矯正局総務課長(現・矯正局長)を紹介してもらった。森山さんが矯正協会発行の「戦時行刑実録」に慰霊碑のことが触れられていることを知って目を通すと、大きさは高さ約120センチ、横約24センチで、見つけた石とほぼ一致することも分かった。大橋局長は「赤誠隊のことは知っていたが、慰霊碑が島に残っているとは驚いた」と話す。
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