長崎原爆の日の8月9日夜の慰霊行事「万灯流し」を、裏方として約20年支えた海運会社の男性がいる。原爆で3人の兄を失い、港の復興とともに育った。行事の縮小に直面するなか、犠牲者の記憶をつなぎたいとの思いを強くしている。
数百の灯籠(とうろう)が、水面に光の筋をつくる。かつて川を埋め尽くした犠牲者に祈りを捧げる万灯流しは戦後まもなく、爆心地近くの住人たちの手で始められた。
1995年からは灯籠をいかだに載せ、船で引っ張るようになった。崎永剛さん(79)が会長を務める「崎永海運」の船だ。
崎永さんの実家は、長崎市松山町の爆心のほぼ真下。当時2歳の崎永さんは母と郊外に疎開していたが、3人の兄を失った。
家業を継いでいた28歳の長兄はまるきり行方不明。旧制五高(現熊本大)から帰省していた20歳の次兄は、「恩師にあいさつに行く」と自転車で市内に出かけたっきり戻らなかった。3番目の兄は16歳で、長崎医科大(現長崎大医学部)の付属医学専門部の1年生。同級生と浦上川の支流に逃げ延び、水を求める姿が最後に目撃されていた。
崎永さんに3人の記憶はほとんどない。だが、実家にある勉強机の一番下の引き出しには、兄の遺品が束になって入っていた。
達筆の手紙に、「甲」が並ん…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル