原爆の瞬間も走った広島電鉄 運転士が見た「特別な朝」

【動画】原爆の瞬間も走った広電651号。「被爆電車」と親しまれる車両は、被爆76年を経た夏も走り続ける=遠藤真梨、小林一茂撮影

 クリームと深緑、なつかしさを感じさせる色合いの1両の路面電車。8月6日午前7時29分、広島市中区にある広島電鉄千田車庫から滑るように走り出した。「被爆電車」として知られる651号だ。その先頭の席には、20年の運転歴を持つ川隅政則(49)の姿があった。「原爆の日」にレバーを握るのはこれが初めてだった。

 川隅が運転するよう指示を受けたのは、1週間前。身の引き締まる思いだった。この日を迎えるまで、会社の資料などにあたり、広電と被爆電車の歴史を振り返った。「原爆投下で多くの乗客や従業員が亡くなり、負傷者も多数出た。その後の先人の苦労があって今の広電がある」

 歴史の重みを理解しながら乗り込んだ車両。広電本社前駅を出て、横川駅で折り返し、原爆投下時刻の8時15分に原爆ドーム前駅で、もう1両の被爆電車の652号とすれ違う――。こうした運行予定があらかじめ組まれていた。

 ただ、いざ運転してみると…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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