原爆孤児は新聞をちぎって食べた 「死に場所」求めた男性支えた言葉

【動画】原爆で孤児になった男性。支えになったのは生前の母の言葉だった A-stories「わたしもゲンだった」

わたしもゲンだった 「はだしのゲン」連載50年

漫画「はだしのゲン」が6月、連載開始から50年を迎えます。原爆は広島と長崎の多くの子どもの命を奪い、生き残った子たちも「ゲン」のような壮絶な人生を余儀なくされました。

 原爆は多くの子どもたちから、大切な親を奪った。漫画「はだしのゲン」でも原爆孤児の姿が描かれている。生きるために食べ物を盗み、捕まっていく――。そんな孤児たちの姿を見た主人公のゲンは叫ぶ。

 「ちくしょう ドロボウをしなくてはいけないようにしたのは戦争じゃ ピカじゃ」

      ◇

 桜の花が咲き誇る4月上旬、広島県北部・三次市の善徳寺に、昨年亡くなったある男性をしのぶため、彼を知る20人ほどが集まった。スクリーンに映し出された生前の姿を一緒に見ながら、思い出話を交わす。

 男性の名は川本省三さん。広島の原爆の体験を語る「被爆体験証言者」として10年以上活動した。集まった人たちは、川本さんから話を聞き、亡くなった後も代わりに体験を伝える「伝承者」と呼ばれる人らだ。

 「孤児たちが、どんなにつら…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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