佐賀県唐津市が、原発関連の資料で原爆投下後の広島などの写真に「×」印を付けていた問題で、市は謝罪して資料を今後使わないことを明らかにした。「×」の意味について市は「原爆と原発は違うことを示したかった」と説明した。写真は現地でどのように撮影され、伝えられてきたものだったのか――。記者が広島を訪ねて考えた。(西部報道センター・福井万穂)
×印の写真4枚、うち3枚は広島で撮影
広島原爆の日を間近に控えた8月3日、広島市中心部にある平和記念公園にはテントやいすが並べられ、式典の準備が進んでいた。園内の広島平和記念資料館には、子ども連れら多くの人が訪れていた。
記者は2019年の全面リニューアル前に、一度訪れて以来の訪問。同年度の入館者数は約175万8700人だった。
資料館は本館と東館があり、原爆投下当日の状況や放射線被害、核廃絶に向けた動きなどが、時の流れに沿ってわかるようになっている。
本館では、被爆者の遺品や爆風で折れ曲がった鉄骨など、実物の展示を重視。ぼろぼろになった制服や弁当箱などには、持ち主の写真や人柄の紹介、家族の言葉が添えられている。
本館を入ってすぐ、「8月6日の惨状」という薄暗い展示室。唐津市の資料に使われた写真の1枚が目に入ってくる。原爆投下から約3時間後、爆心地から2キロほどの派出所が臨時の治療所となり、やけどを負った学生らが集まる様子をとらえたものだ。
「頰に涙が伝い、ファインダーを通す情景がうるんだ。まさに地獄だ」。写真の横には、撮影した中国新聞の元カメラマン、松重美人さんの言葉が書かれている。
著書によると、松重さんは自宅で爆風に襲われ、自身も血を流しながらカメラを手に街へ出た。午前11時ごろ、派出所前で見たのは、髪も皮膚も焼けた人たちの姿だった。
「助けて」「水をください」…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル