原発事故で転々、感謝と我慢を強いられて 23歳が振り返る自分の心

 東日本大震災の後、避難先で再開した学校で給食が始まったのは5月中旬だった。

 最初はパン1個と牛乳だけ。6時間目には、空腹になる。「おなかすいた」とみんながあまりに言うので、先生が「禁止用語」にした。

 「絆」「がんばろう」「感謝」。世の中には、そんな言葉が飛び交っていた。

 テレビの取材が来ると、「『全国からの支援に感謝してます』と言ってね」と促された。

 地元に伝わる会津藩士の「什(じゅう)の掟(おきて)」をもとに、「ありがとう ごめんなさいを言います」「がまんをします」といった心得も斉唱させられた。

 あのころ、我慢ばかりして…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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