東京電力福島第一原発事故で「前線基地」になるはずだった福島県大熊町の旧オフサイトセンターが、解体されることになった。8月にも作業が始まる。事故直後、役割を全く果たせず事故への備えをないがしろにしていた象徴の建物が、今年度内に姿を消す。事故の教訓をきちんと伝えていけるかが今後、問われる。
6月25日、旧センターの内部を取材した。被曝(ひばく)して戻った職員を除染するシャワールームや非常口などを見る。外に通じるドアは、雑居ビルの裏口にあるような普通のドアだ。「こんなスカスカでは放射性物質どころか何でも入ってきますよね」。案内してくれた県職員に尋ねると、「それはコメントできません」とうつむいた。
この建物は鉄筋コンクリート2階建てで、第一原発の南西5キロにある。2011年3月の原発事故では国が現地対策本部を設置。経済産業省や文部科学省、自衛隊、県庁、東電などから計150人が集まった。
だが、震災による停電や通信回線の不通で情報の収集も発信もできなかった。気密性も不十分で、原発の相次ぐ爆発で室内の放射線量は毎時200マイクロシーベルトと、避難指示を出す基準の50倍超になった。事故からわずか4日後の同月15日午前に避難を始め、その日のうちに全員が撤収した。
その時、約1キロ離れた双葉病…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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