原発核燃料の搬出、米国が「待った」 焦る関電幹部 米公文書に記録

 青森県下北半島にある六ケ所村には、日本原燃使用済み核燃料再処理工場がある。貯蔵プールには全国の原発で出た約3千トンが集まり、ほぼ満杯だ。

 1997年の完成予定が30回近く延期されている工場を昨年11月、経済産業相の西村康稔が訪ねた。「完成に向けて総力を挙げて取り組むよう要請した」

 岸田政権は昨夏、ロシアのウクライナ侵攻などによる電力価格の高騰を受けて「原発回帰」を鮮明にしたが、国内原発の貯蔵容量は約8割が埋まる。原発を再稼働させても使った核燃料の搬出先がなければ、じきに運転できなくなる。

米国の許可なければ、「原発は停止に」

 2011年の東京電力福島第一原発事故後、原発を再稼働させた関西電力も、地元が求める使用済み核燃料の搬出先が見つからず、社長の森望自ら「最重要課題」と位置づける。

 政府は戦後、使った核燃料を再処理して再び使う「核燃料サイクル」を掲げ、電力会社は再処理先の確保を求められた。再処理工場では核燃料をバラバラにして化学処理し、プルトニウムなどを取り出す。

 原発から出る核燃料をどこへ持っていくか。政府と電力業界の「頭痛の種」は、実はおよそ半世紀前から変わっていない。

 1978年5月12日、ワシントンの米国務省の一室。東京、関西、中部各電力の幹部らが、核不拡散担当大使のジェラード・スミスと向き合っていた。

 異例となる米高官と電力幹部…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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