比嘉展玖、安井健悟
古葉竹識さんが「生涯忘れられない」と朝日新聞に語った光景がある。
原爆投下から30年。焼け野原から復興途上の広島で、初優勝を決めたカープが平和大通りをパレードした。「僕がオーナーにお願いしたんです」。自身は熊本出身だが、妻が原爆で母を亡くした。「たくさんの人が遺影を高く掲げて、『監督! じいちゃん喜んでるよ』『父ちゃん喜んでるよ』と口々に叫んでいたんです」
沿道を埋めた約30万人のファン。15歳で被爆した草田カズヱさん(91)=広島県海田町=もその一人だった。カープ創設時からのファンだ。ケロイドが残る足に沈んだ気持ちをソフトボールで晴らし、結婚後も夫とカープの応援に熱中した。古葉さんにはカープが25年ぶりに優勝した2016年にテレビ出演した際に会った。これまでの感謝を伝えたところ、目に涙を浮かべて喜んでくれたという。「普段は優しい顔だったが、勝負の時にはとても厳しかったという古葉さん。厳しくても選手がついてきたのは、とても魅力的な監督だったのだと思います」と悼んだ。
草田さんの孫で俳優・作家のうえむらちかさん(36)も「カープ女子」。16年の優勝パレードの中継番組で古葉さんと共演した。古葉さんは1975年のパレードと被爆後の歩みに触れ、「カープは広島にとって『希望の光』だった。だからその分、頑張らないといけない」と語ったという。うえむらさんは「古葉さんの思いを、ファンの私たちがこれからも受け継いでいきたい」と話す。
《広島カープは わしらの 希望の星じゃ》
漫画「はだしのゲン」の作者、故・中沢啓治さん(1939~2012)は最後の書き下ろし作品となった「広島カープ誕生物語」にそんなセリフを書き込み、古葉さんが果たした初優勝までを描いた。妻ミサヨさん(79)=埼玉県所沢市=は古葉さんの訃報(ふほう)に「復興する広島に強い希望を与えた監督。惜しい方をまたひとり亡くしたのが悲しい」と語った。(比嘉展玖、安井健悟)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル