右腕の自由を失った少年が野球と出会い、教師になる。彼が子どもたちに伝えたいメッセージとは?(FNN.jpプライムオンライン)

「夢は教師になって子供たちに野球を教えること」

岡山県津山市の中学校教諭、槙原淳幹(まきはら・じゅんき)さん29歳。幼い頃の事故で右腕の自由が効かないが、小学校から大学まで野球一筋に打ち込んできた。彼は障害者野球チーム「岡山桃太郎」のエースとしても活躍。

【画像】左手だけでも野球はできる!軟式で全国大会まで出場した実力は?

野球から彼は何を学び、子供達に何を伝えようとしているのか。前編では、教師の道を選ぶに至った理由と、その熱く濃い日々を追った。

障害者野球との出会い

岡山県津山市の中学校。ここに元気な国語の先生がいる。
槙原淳幹さん。生徒からは「マッキー」と呼ばれている。

マッキーのことを生徒たちは、こう話す。
「一番思うことは、やっぱり熱血先生です」
「手にびっくりした。小さかったから。何かがあったんだろうな」
「片手だけでやっていけるって、すごいなあと思いました。これで先生できるのかなというのが正直ありました」

槙原さんは右腕の自由がきかないが、生徒に苦労は感じさせない。

放課後、野球部の練習のためグラウンドへ向かう槙原さん。部員はわずか8人。でも、練習で手は抜かず、監督自ら片手でシートノックを担当。

野球に出会って、槙原さんの人生は大きく変わったという。小学3年の時、父親がコーチをしていたスポーツ少年団に入り、野球を始めた槙原さん。高校3年の時には、軟式野球の全国大会で優勝に貢献した。

当時のインタビューでこう答えている。

――片腕のハンディキャップを乗り越えるの、大変じゃなかったですか?
ハンディキャップじゃないから、大変じゃないです

そんな中、出会ったのが障害者野球だ。走れない選手には代走がつき、バントや盗塁はない。障害のある選手が自分のできる限りのプレーをする。それがルール。
当時高校生だった槙原さんはこう話していた。

「聞いた時には、なんだこの野球と思ったんですけど、本当に(障害者)野球に触れてみて、入って良かったと思いました」


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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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