ハンセン病患者を強制的に隔離した法律が廃止されて四半世紀。違憲判決を勝ち取った元患者たちの中には本名やふるさとへの思いを抱えながら、いまなお療養所の中で生きる人もいる。
「家族に患者がいると知られると実家も困るだろう」。青森の国立療養所、松丘保養園で暮らす佐藤勝さん(73)は15歳の入園時、先に入所していた人に言われ、与えられたこの園名で、今も生活している。
東北地方の出身。13歳で発病した。ハンセン病だと知られると、近くの住民は口をおさえて家の前を走っていった。学校に通えず、家に閉じこもった。家の外に出られたのは、夜の数分だけ。人目をさけて外の空気を吸った。独りぼっちで鬱々(うつうつ)とした日々を2年ほど過ごした後、入所した。
らい予防法が1996年に廃止された当時、40代後半。仕事をみつけて退所していく人をうらやましく思ったこともある。佐藤さんの右手には後遺症があって力が入らず、実家の農作業を手伝うことはできない。家族の苦労を思うと、帰れそうにない。園にとどまった。
空き家になった実家に里帰りするのは年に1度。両親の遺影に手をあわせ、つぶしあんをのせた焼き餅をつくって可愛がってくれた祖母の面影を探す。半世紀以上離れたふるさとの時間は、今も「瞬間で終わってしまうんだ」。
園内で亡くなった人たちが入…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル