金色のシルクハットに日の丸扇子、羽織袴(はかま)姿。夏季五輪14大会を観戦した「五輪おじさん」こと山田直稔さんは昨年3月、待望の東京五輪を待たずに92歳で旅立った。その名物応援団長の思いを継いで、孫が2代目に名乗りを上げた。中学1年生の2代目は、応援団長としてだけではなく、もう一つの五輪への道も夢見ている (藤原 真由美)
「僕が2代目応援団長を引き継ぐ」――。
祖父の葬儀後の親族での集まり。父の山田将貴さん(61)に続いてあいさつに立った山田藏之輔さん(13)は、突如宣言した。参列した親族らからは「お~」と感嘆の声が上がった。
「おじいちゃんが亡くなる前はそんなこと、思ったこともなかった。亡くなって顔を見た時に、僕が引き継ごうと思った」
小柄な13歳の少年は、はにかみながら言った。
藏之輔さんは5人きょうだいの4番目で長男。直稔さんは「くら」と呼んでかわいがった。藏之輔さんにとっては「会うといつも明るくて元気なおじいちゃん。何でも一生懸命で、自慢のおじいちゃんだった」という。
直稔さんは、1964年の東京大会から2016年のリオデジャネイロ大会まで全ての夏季五輪を現地で観戦。ド派手ないでたちはどの国の大会でもひときわ目立ち、いつしか名物的存在になった。「国際オリンピック応援団長」を名乗り、競技会場では周囲の外国人にも日の丸の小旗を配って即席日本応援団を結成。その明るさは他国の人にも日本を応援させてしまう不思議な魅力を持っていた。
活躍は五輪だけにとどまらず、元マリナーズのイチロー氏や白鵬らの著名人とも親交。素顔はワイヤロープを手掛ける「浪速商事」の会長でありながら、日本で“最も有名な一般人”の一人でもあった。
直稔さんの遺品、金色のシルクハットと、これまで観戦した五輪が記されている扇子を引き継いだ。扇子には亡くなる前に既に2020年の「東京」の文字が書かれていた。
直稔さんは常々、藏之輔さんに「オリンピックは世界の平和のためにあるんだ」と語っていたという。
「おじいちゃんみたいにできるかは分からないけれど、笑顔で扇子を振って応援したい」
藏之輔さんにはもう一つの五輪への道がある。
4歳から体操を始め、田中佑典、加藤凌平ら五輪選手も擁するコナミスポーツの体操スクール「体操競技選抜クラス」に所属。小学6年生の時には、埼玉県のジュニア大会で個人総合と団体の2冠に輝いた将来有望な体操選手なのだ。得意種目はあん馬と床。「今は体操をしている時が一番楽しい」と打ち込んでいる。
直稔さんは、藏之輔さんの体操での活躍もとても喜んでおり、それこそ一番の応援団長だった。「感謝を大事にして頑張れ」との言葉をかけてくれた。
藏之輔さんは「好きな選手は田中佑典選手。“美しい体操”という日本の体操を一番表現していると思うから。五輪選手も憧れるけれど、指導者にもなってみたい」と将来の夢を語る。
新型コロナウイルスによる問題は中高生アスリートにも影響している。感染拡大を考慮し学校もクラブも当面休み。練習もままならない日が続いている。
五輪も延期や中止、無観客などの可能性も挙がっている。
「中止には絶対になってほしくないです。なぜなら、今まで選手たちも必死に練習を頑張ってきたのに、出られなくなってはかわいそうだから」
選手の気持ちに立って、大会の実現を熱望。2代目応援団長の真っすぐな思いは、世界の平和とアスリートの活躍を願う「五輪おじさん」の応援スピリットを確かに引き継いでいる。
《女子バレー3位決定戦のチケット》藏之輔さんの前に立ちはだかるのがチケット問題だ。現在、当選したのは女子バレーボール3位決定戦のみ。日本チームの応援ができるかも分からない。将貴さんは「家族総出で申し込みましたが駄目でした。息子の思いをくんで、どうにか何の種目でもいいので日本戦を応援させてやりたい。次の先着販売に懸けています」と苦笑い。
直稔さんは、基本的に開会式から閉会式まで現地滞在し、旅行代理店の宿泊パックを利用したり、現地で当日販売のチケットを手に入れて観戦していた。その存在が有名になって、北京五輪は組織委員会の招待だったという。
それでも「おじいちゃんが最初の東京五輪で応援したのが、女子バレーボールの試合。つながっているな、と思う」と藏之輔さんは前向きに話している。
《一足早く団長デビュー》藏之輔さんは五輪組織委員会が作製した「大会モットー」を世界へ広く発信するための動画に登場。開幕より一足早く“団長デビュー”を果たしている。動画は、テニスの大坂なおみが起用され、大坂がさまざまな人が集う五輪会場に入場するイメージで展開。藏之輔さんは、観客席で立ち上がり羽織袴姿で扇子を振る役。数秒ながら、日本の応援団を表現する重要な役割を担っている。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース