吹奏楽エリート集団・淀工、実は半数が初心者から 丸谷先生の育て方

吹奏楽の名指導者で、「丸ちゃん」の愛称で親しまれた丸谷明夫さんが2021年12月7日に76歳で亡くなりました。大阪府立淀川工科高校吹奏楽部の顧問を長く務め、全日本吹奏楽コンクールに41回出場し、32回金賞を受賞しました。生徒らを育て導いたその手腕と情熱を振り返ります。この記事は、2016~17年に淀工吹奏楽部に密着取材し、朝日新聞大阪版で連載した「オトノチカラ 淀工物語」(全12回)を再構成しました。(肩書や年齢、コンクールなどでの演奏・受賞歴は掲載当時のものです)

入部時の半分は初心者「教えることで成長」

 梅の花の香りが風に舞う2016年3月1日、大阪府立淀川工科高校で吹奏楽部の卒業生を送る会が開かれた。

 楽器のパートごとにお世話になった先輩を、後輩たちが費用を出し合ってごちそう。最後に部員全員で練習室に集まり、卒業生の代表があいさつをした。

 「ここで鍛えられたので社会に出てもやっていける」

 「この3年間があるから、自分が成り立っていると気づいた」

 仲間の言葉を、卒業生の小柴佑介さん(18)は静かに聞いていた。初心者から始め、オーボエのパートリーダーまで務めた。「続けてきてよかった」。深い感慨が胸に広がった。

 吹奏楽部は1958年の創部で、全日本吹奏楽コンクールでは、特別演奏も含めて37回出場。最多の28回の金賞を誇る。全日本マーチングコンテストも出場19回でほぼ毎回金賞を受賞。

 「淀工」の名は全国に知れ渡る。

 成績だけを見るとエリート集団のように思えるが、約200人いる部員の半分は入部時は初心者だ。

 半世紀以上にわたって指導する顧問の丸谷(まるたに)明夫先生(70)は、人数が多ければ多いほどそれぞれの人生が出てあたたかいサウンドになる、と考える。

 「初心者に教えることで自分も成長する。それが、うちの基本です」と話す。

同じフレーズを納得いくまで何度も練習していた=2016年4月、大阪市旭区、大蔦幸撮影

 小柴さんは中学1年の途中まで卓球部で、高校入学後に「長く続けられる部に入りたい」と先輩後輩の仲が良さそうな吹奏楽部を選んだ。それまで楽器はリコーダーに触れた程度だった。

 各楽器の特性もわからず、とりあえずクラリネットを学んだが、夏のコンクールで3年生がソロで奏でたオーボエの音に魅了されて転向。楽器の持ち方や音の出し方といった基本から、先輩が付きっきりで教えてくれた。

 時には隣で一緒に吹いてもらい、音の響きを耳で覚えた。「本当に先輩のおかげ」と振り返る。

 2年時にコンクールの出場メンバーに選ばれ、3年生になるとパートリーダーになった。小柴さんは「初心者の自分がリーダーをしたことで、少しは後輩の刺激にもなったかな」と笑う。

 そのパートリーダーを継いだのが、1年後輩の南紗貴(さき)さん(17)。南さんは小柴さんの演奏を初めて聴いたとき、とても入部後に始めたとは思えなかった。

 現在、オーボエパートには、2年生に初心者がいる。難しいところがあると、必ずその後輩の隣で一緒に吹くことにしている。かつて自分が小柴さんにしてもらったように。

 「教えることは難しいけれど、復習にもなるので自分も上達する気がする」と南さん。今は、先輩が残してくれた音を目標に練習に励んでいる。

 「まだまだ近づけないけれど、私たちの音で、人の心を動かせる演奏がしたい」。そう心に決めている。

     ◇

(2016年4月7日朝日新聞大阪版掲載)

新入部員の勧誘通し、自らを見つめる

 2016年4月、トランペットの高島友輝君(2年)は毎朝のように1年生の教室を訪ね、新入生に声をかけた。

 「ゲーム好きなん? うちの部にもゲーム好きな先輩おるで」。何げない会話を糸口に、練習へと誘った。

 入学式が終わると、淀川工科…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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