ユニークな外観で、銭湯で初めて国の登録有形文化財になった大阪市生野区の源ケ橋(げんがはし)温泉が昨春、約80年の歴史に幕を下ろした。ただ、随所に工夫がこらされた建物の見学希望者は後を絶たず、昨秋は浴室でオンラインライブも開かれた。経営者は建物を守っていく思いを新たにしている。
謎の自由の女神像がお出迎え
大阪市生野区の生野本通商店街から路地に入り、まっすぐ進むと、源ケ橋温泉が姿を現す。
約900平方メートルの敷地に立つ木造2階建ての瓦ぶき建物だ。屋根にはしゃちほこのほか、窓枠に2体の自由の女神像が付いている。窓にはステンドグラスが多用され、玄関前には「源ケ橋」と彫られた石柱も。和洋折衷の外観に誰もが目を奪われる。
脱衣所の高さ約10メートルの天井にはシャンデリアがあり、重厚感と開放感が味わえる。浴室の床は大理石で、オパール石で四方を囲んだ「原石風呂」もある。
2代目経営者の中島弘(ひろむ)さん(78)によると、建物は1937年に地元の地主が建築した。中島さんが生まれた42年に父の貞次さんが借り受け、銭湯として営業を始めた。その後、土地を買い取った。
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当時は戦争まっただ中。空襲で焼け残った木材を拾い集め、風呂をたいたこともあったという。終戦後は客足が一気に増え、1日1千人にのぼった。中島さんは「商店街から銭湯前まで二重にも三重にも列ができた」。
営業開始の頃からほとんど変わっていない建物の外観がなぜこうなったかは中島さんも知らない「謎」だ。自由の女神像は「入浴」と「ニューヨーク」をかけただじゃれでは、といわれている。
燃料高騰・銭湯離れ…時代の変化が直撃
好調に陰りが見え始めたのは70年代のオイルショックの頃だ。燃料価格が高騰し、専門業者から卸してもらえなくなる事態に陥った。「泥のような廃油も燃料にしたが、徐々に業績が下降線をたどっていった」と中島さん。
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風呂付きの家が当たり前になっ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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