唯一無二だった舞台 日本Sが「江夏の21球」を生んだ



 九回裏無死満塁。1979年11月4日、日本一を目前に広島・江夏豊投手は絶体絶命のピンチに立たされた。

 この年のプロ野球日本シリーズは、ともに初の日本一をめざす広島と近鉄が3勝ずつで並び、最終戦。広島1点リードの最終回、近鉄は逆転サヨナラの絶好機を作る。

 ここから江夏投手が真骨頂を発揮する。まず三振で1死。次の打者のスクイズを外し、三塁走者をアウトにして2死。気落ちした打者を空振り三振にきってとり、胴上げ投手となった。

 江夏投手が21球を投じたこのイニングを、両軍の選手、監督らのインタビューを交えて克明に描写したのが山際淳司さんの『江夏の21球』。スポーツノンフィクションの金字塔とされる秀作だ。

 「テレビがやるべき仕事を活字にやられた」。当時NHKのディレクターだった佐藤寿美さん(71)=現宮崎県芸術劇場館長=は、読んだときの衝撃をそう思い起こす。

 同時に、後追いになっても「テ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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