国内で最後の2階建て新幹線「E4系」が10月1日、定期運行を終える。新幹線の2階建て導入から約35年。長距離化、高速化するなかで大量輸送を支えてきた。最後まで残っていた2階建てはJR東日本の上越新幹線で、乗客からは引退を惜しむ声があがる。東京駅発のラストランは同日午後6時32分、越後湯沢駅に向けて出発する。(高橋俊成、小川崇)
仕事、恋愛、帰省、思い運んだ日々
9月下旬、夕方の東京駅。高さ約4・5メートル、全長約200メートル(8両編成)の新幹線「E4系」がホームに入ってきた。2階席に座る多くの乗客が、窓越しからスマホをかざした。ホームでも利用客らが、Maxの愛称で知られる車両の姿をカメラに収めていた。
都内の女子大学生(22)は「帰省するたびに使ってきた。最後になるかもしれないと思って」とE4系を選び、帰省先の新潟に向かった。会社員の女性(44)は3歳の長男と初めて乗車。E4系に乗るために越後湯沢まで行き、日帰りで戻ってきたという。「2階までベビーカーを持ち上げるのは大変だったが、見晴らしがよかった」と話した。
「この10年で何回乗ったんだろう。数え切れないくらいですね」。新潟県長岡市の会社員、堀美穂さん(34)はE4系に乗った日々を振り返る。
横浜市出身。大学卒業後、富山県に本社がある製薬会社に入った。勤務地の東京の支店から本社に行く時は、いつも緊張しながら同僚らとE4系に乗った。北陸新幹線がまだ金沢まで開通しておらず、本社に行く際は越後湯沢駅(同県湯沢町)で乗り換えた。トンネルを過ぎて大雪が積もった光景に「すごい所に来てしまったな」と思った記憶がある。
後に夫になる交際相手は新潟出身だった。横浜と新潟の遠距離恋愛。彼に会いにいくときはE4系に乗ることが多かった。E4系で過ごす時間は、仕事での緊張から「好きな人に会える」という楽しみへと変わった。
結婚し、7年前に新潟県長岡市へ転居した。長女が生まれると、横浜の実家に帰省する際にE4系を使った。ベビーカーを持って階段を上がるのは大変だったが、2階席からの眺めに喜ぶ娘の顔があった。E4系は移動手段から楽しむ場所へと変わった。
自宅からは新幹線の線路が見える。コロナ禍の影響で列車での帰省は控えていたが、今春、5歳になった長女がふと口にした。「Maxときに乗りたい」。E4系の引退を、どこかで聞きつけたようだった。
今月11日、2人の娘とともに2年ぶりにE4系に乗車した。この日も2階席を選んだ。道中、収穫期を迎える田園風景を眺めた。長女は「また乗りたい」と笑顔を見せた。
見慣れた景色の記憶はモノクロだったり色鮮やかだったり。「乗るたびに、自分の気持ちが車窓からの印象に反映されていた。何回も乗ったからこそ、さみしいです」
■高速化進み、最高時速に壁…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル