「先生が、『おうちに帰らないで』って言えばよかったじゃん!」
東日本大震災で9人の園児を失った、岩手県大槌町の「おおつちこども園」(旧・大槌保育園)。
八木沢弓美子園長(56)は、ある年中の女の子が震災後、初めて本音をぶつけてきた日のことを忘れない。
震災が起きた直後に迎えに来た保護者に引き渡した園児9人が、その後の避難中に津波にのまれ、犠牲になった。その時のことをまっすぐぶつけてきたのだ。9人の中に、その子の親友がいた。
すぐに高台のコンビニへ
2011年3月11日午後2時46分。園児たちは、昼寝から目覚めたばかりだった。
立っていられないほどの揺れに、保育室から泣き声や叫び声が響いた。
怖がらせまいと、園内放送で「先生のそばに集まってください。大丈夫。こわくないからね」と呼びかけた。心臓がバクバクと鳴った。
職員たちは、子どもたちに次々と黄色い防災ずきんをかぶせていた。地割れしている園庭を眺めながら、「準備できたクラスから避難して!」と声をかけた。
約110人の園児と、避難訓練通り、高台のコンビニへ走った。
5分ほどで着いたコンビニの駐車場には、たくさんの人がいた。
次々と園児を引き渡した
保護者が次々にやってきて、70人ほどの子を引き渡した。脇の国道を見ると、避難する車で大渋滞だった。
海のほうに目を向けると、土煙が近づいてきていた。地震による火事の煙かと思った。ところが、後ろにいた男性が、「津波だ!」と叫んだ。
津波? それなら、もっと高い所に行かないと、危ない。そう反射的に思ったが、ここより高いのは、30度ほどの急斜面の裏山だけだ。
「行くよ!」。戸惑う職員たちを促し、残った40人の子と職員20人とで駆け上った。
足が震えた。20キロの年長児を小脇に抱え、もう片方の手では避難車を引っ張った。
背後に激流が迫った。山の上に着くと、大槌の街が津波にのみ込まれていくのが見えた。
プロパンガスが爆発する、聞…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル