地元に親しまれていなかった(あぶらとり紙の「よーじや」代表)
#コロナを生きる言葉集
國枝昂(こう)さん(31)が勤め先の監査法人を辞し、あぶらとり紙で知られる「よーじや」グループの5代目社長に就いたのは昨年4月。最初の「緊急事態宣言」下だった。家業を継ぐのは先のはずが、先代の父の病気もあり、「やるしかない」と、腹をくくった。
看板商品のあぶらとり紙が生まれたのは1920年代だ。初代が出入りしていた映画撮影所で、照明を浴びる役者がドーランを塗った肌の「あぶら浮き」に悩んでいた。目をつけたのは、びょうぶなどに使う金ぱくの裏打ち紙。化粧を落とさず余分な皮脂を吸い取れると、花街の女性らが愛用していたものだ。これを手のひらサイズにして売り出すと評判に。手鏡に女性が映り込むマークも浸透し、代表的な京都土産のひとつに育った。
だが観光客頼みの分、コロナ禍が直撃した。清水寺や嵐山、金閣寺、祇園。観光地中心の店舗展開も裏目に出た。
「遠方の人ほど、旅の思い出とともに買ってくれていた」と國枝さんは言う。
それでも2度目の宣言で自宅待機のなか、以前は交流がなかった、地元の各店舗のスタッフたちがオンラインで商品アイデアを出し合うように。昨年11月には地元の若者をターゲットに、テイクアウト限定のクレープ専門店を開くなど新たな挑戦も始めた。
「よーじやとはこんなもの、という常識を取っ払う」。京都でもようやく緊急事態宣言が解かれたなか、観光に依存しない道を探ろうと、もがいている。(佐藤秀男)
◇
誰もが経験したことのない日々が続いています。様々な立場、場面の言葉を集めます。明日に向かうための「#コロナを生きる言葉集」。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル