瀬戸内海に浮かぶ大久野(おおくの)島(広島県竹原市)にあった旧陸軍の毒ガス工場の実態を、福岡県福津市の木村修一さん(71)が調べている。木村さんの母や叔母は戦時中、この工場に動員されたが、体験を語ることなく世を去った。戦後75年を経た今、木村さんの背中を押すのは、ある記録作家の姿だ。
「林えいだい(原稿資料)」「毒ガス島の動員女子学徒」――。表紙にそう書かれたノートを、木村さんが見せてくれた。2017年9月1日に83歳で亡くなった記録作家、林えいだいさんの残した草稿を書き写したものだ。
草稿は、大久野島と毒ガス開発の歴史、日本軍による中国での使用、戦後の処理……など、本の構成案や下書きが原稿用紙40枚余りに記されていた。福岡市の「ありらん文庫資料室」から借り出した。
資料室は、林さんが福岡県田川市に仕事場兼私設資料館として構えた「ありらん文庫」の名前を冠し、林さんの取材ノートや集めた資料などを保管している。室長で大分大名誉教授の森川登美江さん(75)によると、林さんは毒ガス工場を知る人たちを繰り返し訪ねて取材したが、本を書き上げることは果たせなかった。
木村さんはノートの見開きページの片方に草稿を書き写し、もう一方には木村さんが薬学部で学んだ知見も生かして毒ガスについて調べたことを補足している。草稿を読み込み、重要と思えることは赤字で書いたり線を引いたりした。「コピーするよりも、えいだいさんの見方にのめりこむことができ、自分の立ち位置も決められる」
周囲約4キロの大久野島は現在、野生のウサギとふれ合えることで知られ、観光客を集めている。だが、ここには1929年から敗戦まで毒ガス工場が置かれ、秘密の島として地図からも消されていた。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル