坂本龍一さんの「先生」 李禹煥さんが語る晩年 けがれなき音

 坂本龍一さんが晩年に「先生」と呼んだ人がいる。最後のアルバム「12」のジャケットの絵も描いた韓国出身の美術家李禹煥(リウファン)さん(87)。芸術家として坂本さんがどんな境地に到達したと考えられるのか伺った。

 ――今の心境をお聞かせください。

 僕は弟を失ったような気持ちでいます。決して長い付き合いではなかったのに、本当に古い付き合いのような感じでした。

 7年ほど前、飛行機の中で映画「レヴェナント」を見ました。坂本龍一さんが中咽頭(いんとう)がんの治療直後に音楽を担当した作品です。極限状態に置かれた人間が描かれていて、音の使われ方がちょっと普通じゃなかった。

 特に厳しい寒さの中の風の音が気になりました。帰国後にDVDを買って自宅でじっくり見直すと、やはり手が入っていた。どこに手を入れたか分からないくらい、ほんのわずかに。自然を呼び寄せたり、介入したりしていた。面白い。見事だなと思いました。

 その頃、坂本さんの展覧会があって足を運びました。「レヴェナント見ましたよ」と会場のノートに書き残した。するとすぐに坂本さんから自宅に電話がかかってきた。びっくりしました。それからパリで開かれた僕の展覧会で流す音楽を作ってくれたり、アトリエに遊びに来たりと付き合いが始まりました。

教授は、僕を先生と呼んだ

 彼は僕を「先生」と呼びました。なぜ?と聞くと「先生としか呼べない」と。僕は絵や彫刻が専門です。韓国で生まれ、人文学や物理学、東西の思想などを書物などから学び、そういうところから発想してきました。「教授」と呼ばれていた彼は、同じ匂いを感じたのかもしれませんね。

 僕のアトリエの茶室で彼は録音しようとしたこともあります。「何も音はないのに」と言うと「音はあるんですよ」とうれしそうに返した。1、2時間、録音するようなことをしていました。彼には音が聞こえたのでしょうね。

 ――李さんと坂本さんとの表現にも共通点があったのですか?

 はい。僕は若い頃に日本に渡り、東西の哲学を学び、表現の世界に飛び込みました。表現は決して逃避の場ではなく、もっと次元の高い政治性や社会性というか、普遍性を持ったものになると思えたのです。

 私の解釈では、思想家の吉本隆明は表現とは自己表現だと主張しました。近代的な考え方です。でも僕はそうは思いません。表現するほどの自分があるかどうかは分からないし、仮にあるとしても支配者的だったり、押しつけがましかったりする。

 芸術家がキャンバスに自分の考えを描いてしまうのは面白くない。それを一度壊して、自分とそうでないもの、内と外にあるものが出会ったり、対話したりしなければならないという考えで1970年代以降ずっと作品をつくってきた。石や鉄板、ガラスを使い、破壊と組み立てることが一緒になった作品が多い。国際的にも評価され、「もの派」と呼ばれています。

 坂本さんと話したり、彼が書いたものを読んだりすると、彼は「もの派」のことをしきりと気にしていました。

 「自分の言葉の拡大だけでは大したことはない。それは了解事項に過ぎない。了解できない部分、届かない部分とぶつかる時に出てくる音の方がもっとすごいと気がついた」と語っていました。

晩年の演奏「手とピアノの間で起こった出来事」

 僕は韓国から日本に来たのでやっぱり日本は異国です。その後、米国や欧州に行っても、常に「他者」と出会い続けて表現が組み立てられてきた。「他者」に敏感です。よく「自然と一体となる」といいますが、それは言葉のあやで、なかなか一体化するものではありません。自然の音がどんなに良くても、自然そのものには入り込めない。引き寄せたり、遠のかせたり、一種の駆け引きがそこに起こるのだと思うのです。

 「自分でないものがある」ことに気づくと、とても面白くなる。そして自分よりもっと大きなものがあることを知ると謙虚になります。表現が色々なものとぶつかり合い、出会い、作用し合い、気流が電流が流れるようなことが起こる。そこがAI(人工知能)やハイテクで開発したロボットの考えとの違いです。

 日常生活に役立つし、便利だから使いこなせばいいのですが、AIの根は人間です。でも人間の根は、計り知れない自然にある。だからAIにばかり注目し、傾倒していくことは危うい。アートも人間に根を持つようにすべきではなく、自然に根を持つようにしなければならない。それは坂本さんと同じ考えでした。

 彼の晩年のコンサートを聴いたとき、もうほとんどその音は音符通りの演奏ではなくて「自分の手とピアノとの間で起こっている出来事」のような感じでしたね。

 ――2度目のがん闘病に入って、坂本さんに贈ったものがあるそうですね。

 昨年の国立新美術館での僕の回顧展にも、坂本さんは来てくれました。休館日に僕が案内して、作品を前にゆっくり語り合い、1枚のドローイングを贈りました。ぐるぐる円を描いているようなものです。坂本さんが病と闘うのに、僕がいてもたってもいられなくて、何か力になりたいと力を込めて描いたものです。

 オカルトでも何でもなく、絵は描き方によってはパワーを持つように描くことができるのですよ。描かれていないものと描かれているものがそこで闘うような張り合いがパワーになるのです。世界や宇宙はすべてそういう風にできていると思いますね。

 人間は記号ではないし、絵も作品も生き物です。それと対峙(たいじ)するときに、吸い込まれたり、何かが立ちはだかったりする。「見たり、ぐるぐる描かれた方向へ手でなぞったりすると力がわいてくるはずだよ」と言って渡しました。少しでも彼の力になっていればと願っていました。

レクイエムのよう 「12」は唯一無二だった

 ――最後のアルバム「12」のジャケットは坂本さんから依頼されたのですね。

 はい。2022年の春を過ぎ…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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