それはうつつか幻か、それとも神々の住む異界なのか。鏡という器物の向こう側に、古来、人々は神秘をかぎ取ってきた。と同時にそれ自体もマジカルなアイテムになった。大和文華館(奈良市)の「鏡中之美」展は、そんな鏡に寄せた人々の思いを鮮やかに映し出す。
中国では紀元前より、呪文のような吉祥句や神々の図像を鏡の背面に記した。たとえば後漢代の方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)。東西南北を守護する霊獣を四方に配し、円と方形の組み合わせは天と地の象徴だ。「規矩」とはコンパスやものさしのこと。はるか神話の時代、伏羲(ふっき)と女媧(じょか)が世界創造に用いたともいう。散らされたTやL、Vの幾何学文がそれを表し、神々と人間が共にあったころの宇宙観を投影する。
鏡の魔力は邪を遠ざけると信じられた。神仙思想を集成した書『抱朴子(ほうぼくし)』にも効能が説かれている。この考えは古代日本にも流入したらしく、古墳に収められた鏡に死者の安寧を託す説は根強い。
やがて鏡は神のよりしろとなり、神社のご神体にもなった。鎌倉時代の「日吉曼荼羅図(ひえまんだらず)」では、比叡山麓(さんろく)におわす神々の社殿に金輪が描かれ、本地仏の如来や菩薩(ぼさつ)、明王らが鎮座する。あたかもほこらを照らす鏡のようだ。
中国唐に渡った留学僧、常暁(じょうぎょう)がもたらした経典などの請来(しょうらい)目録も展示。付属する「両部別録」(911年)には密教法具に交じって「鏡一面」の文字があり、仏教信仰の一要素だったことがわかる。
「鏡には神々や人と人のつながり、願いが詰め込まれている」と瀧朝子・学芸部課長はいう。小さな金属板の奥にある、もうひとつの世界。考えてみれば不思議なことだ。いにしえの人々がそこに超常の力を想像したのも無理はない。よこしまな物は鏡に映らない、あるいは真実をさらけ出す、との見方も庶民に浸透していたらしい。南北朝代の「十王図」を見てみよう。
閻魔(えんま)大王の御前に引…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル