人気絵本作家、ヨシタケシンスケさんの初の大規模個展「ヨシタケシンスケ展かもしれない」(朝日新聞社など主催)が22日から福岡市中央区の福岡市科学館で始まった。絵本の原画や造形作品などを展示している。絵本を描き始めたきっかけや、伝えたいことをヨシタケさんに聞くと、作家になれたのは「たまたまで、びっくり」「夢なんてなくても大丈夫」と教えてくれた。
――福岡での個展。九州との関わりは?
おそらく、父のルーツが九州のどこかだと思うんです。福岡に来たのは、絵本作家になりたての頃、書店へあいさつに来て以来で、7~8年ぶり。久しぶりでとてもうれしいです。
(個展開幕前に)おいしいものをたくさん食べさせて頂きました。鶏料理が特においしかった。どれもおいしくて、むしろ、「(福岡の)おいしくないものって何なんだろう」とすら思いました。
――護国神社(福岡市中央区)で開かれた「のみの市」にも足を運んだそうですね。
たまたま行って、訳の分からないものをたくさん買いました。大満足です。例えば、変な玉。ビリヤードの玉のように、「4」とか「9」とか、表面に書いてあるものを買いました。何に使うか分からないものを集めるのが好きなんです。何のために使うのか、分からない。でも存在している以上、誰かが何かのために作ったはずなんですよね。それを、「あれかもしれない」「これかもしれない」と考えるのが好きなんです。
――それが創作のヒントにもなっている?
そう。正解のないものが好きなんです。良い感じに情報が抜け落ちている、というか。そういうものをつい集めちゃいます。だから、のみの市などへ行って、偶然の出会いを楽しんでいます。
――小さい頃の将来の夢は何だったんですか?
大工さんです。人に言われたことを、きちんとできる人になりたかったんです。言われたこと以上は自分で何もやらない子どもだったので。
工作が好きでした。二つ上の姉が本当に優秀で何もかなわなかったんですけど、姉は工作だけはやらなかったので、僕が工作をすると母親が一生懸命ほめてくれるんです。それがうれしくて、ものを作る人になりたいと思うようになりました。大工さんって楽しそうじゃないですか。ラジオを聞きながら木を切ったりして。人に言われたものをきちんと作ることができる人になりたかったですね。
――今は、ご自身が思われたことを形にする仕事をしています。
そうなんです、だから「真逆」なんですよ。でもイラストレーターをずっとやっていたので、その時は言われたものをきちんと形にする仕事をしていました。今、絵本を描く時は、自分で自分にお題を出すようにしています。人から言われたものを組み立てる訓練があったおかげで、自分のオーダーにも応えることができるようになったと思います。
「かわいい!」と褒められ、自分のためだけの絵が仕事に
――展覧会では、約2500枚のスケッチの複製が並べられています。描かれた絵の細やかさにも驚かされましたが、スケッチそのもののサイズが小さいのも気になりました。なぜ、こんなに小さい?
大学を出た後、半年間だけ会社員をしていた期間がありました。その時は会社になじめず、落書きばっかりしてたんですね。でも職場がとても狭く、後ろを先輩が通るとき、それを見られてしまう。お給料をもらっている身として、落書きばっかりしていることがばれるわけにはいかなかったんです。それで、後ろに人の気配を感じた時に、手でぱっと隠せるように小さい絵を描くようになりました。愚痴や不満を書き入れたスケッチが多かったのですが、文章の下に女の子の絵を描いて、「これは僕のセリフじゃなくて、この女の子が言っているんですよ」と言い訳できるようにしていました。
それがある日、油断している…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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