古代史の大きな節目となった「大化の改新」ゆかりの談山(たんざん)神社(奈良県桜井市)の近隣にこの春、神社とは無関係の宗教法人がお堂を建て、「妙楽寺(みょうらくじ)」という看板を掲げた。談山神社は明治の神仏分離令が出るまでは「妙楽寺」という寺だった。神社は当惑している。宗教関係の名称はどう保護されているのか。
談山神社の創建は678年。祭神は大化の改新の立役者、藤原(中臣)鎌足。
神と仏が一緒に信仰される神仏習合のもと、妙楽寺という寺として大伽藍(がらん)を誇り、江戸時代には40を超す子院(塔頭(たっちゅう))があった。約150年前に明治新政府の神仏分離令を受け、妙楽寺という名称などが廃止され、談山神社になった。
飛鳥時代の都だった奈良県明日香村の中心部から車で東へ10~15分ほど。神社の鳥居から約200メートル離れた土地にお堂がある。周辺に「多武峰(とうのみね)妙楽寺 本坊青蓮院宮跡」と記された看板や石碑もある。妙楽寺は「多武峰寺」とも呼ばれていた。
神社側反発「歴史がゆがめられる」
建立したのは同じく桜井市内にある曹洞宗平等寺(びょうどうじ)の丸子孝法(こうほう)住職(74)。丸子住職によると、妙楽寺という新しい宗教法人を作るのではなく、お堂は平等寺の出張所として建てた。幅約13メートル、奥行き約7メートル。2017年に建設地周辺の土地約500坪を個人の地権者から購入し、今年5月に完成した。11月には落慶法要が営まれた。この土地は、かつて「本坊青蓮院宮」と呼ばれた子院の一つの跡地だ。
丸子住職の自坊(じぼう)の平等寺も神仏分離令で廃れた。丸子住職は16年間の托鉢(たくはつ)で喜捨を募り、1987年に平等寺の伽藍を再建した。
妙楽寺は、もともと法相宗だったが、平安時代に天台宗に改めた。丸子住職は曹洞宗の僧侶。天台宗の妙楽寺と宗派が違うが、妙楽寺と曹洞宗の関係も深いという。曹洞宗の開祖・道元の祖父の藤原基房が妙楽寺に三重塔を寄進した。本山の永平寺の2世孤雲懐奘(こうんえじょう)、3世、4世も妙楽寺で修行した。
こうした縁もあり、丸子住職は妙楽寺の再建を考えたという。数年前、「孤雲懐奘禅師が鎌倉時代に妙楽寺で学んだ。顕彰するお堂を建てたい」などと神社に相談を持ちかけた。
談山神社の長岡千尋(せんじ)・前宮司によると、神社側は、孤雲懐奘を顕彰するお堂には異存はなかったが、建立後に「妙楽寺」などと記した看板が立てられたという。丸子住職は立てた理由などについて「平等寺も妙楽寺も同じ桜井市にあり、同じように神仏分離令でなくなった。妙楽寺も後世に伝えたかった。もともと妙楽寺は神仏習合だから神社だけではだめ。妙楽寺を興し、仏と神の両方を大切にすべきだ」と話す。
だが、神社側は反発している…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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