日本列島に群雄が割拠した戦国時代。織田信長や豊臣秀吉のほかにも、各地に地域ごとの覇者が誕生した。中にはこれまで必ずしも評判がよくなかった武将もいるが、研究の進展とともに、その再評価が進んでいる。
大分市顕徳町にある大友氏遺跡(国史跡)。ここは「豊後王」としてヨーロッパにまで知られた、戦国大名・大友宗麟(1530~87)が築いた4・6ヘクタールにも及ぶ巨大な館の跡だ。
宗麟は守護大名・大友氏の21代目として生まれた。来日していた宣教師フランシスコ・ザビエルと知り合ったのを機に布教を認め、自らもキリスト教徒となって南蛮文化を摂取。一時は九州の6国を支配したが、耳川の合戦で薩摩の島津氏に敗北。最後は豊後一国の領主として亡くなった。
しかし、この宗麟、近年まで必ずしも評判がよくなかった。息子の義統の代で国を失ってしまったことに加え、家臣の妻に手を出したり、無理に改宗を進めて寺を壊したり――といったエピソードが残っていたためだ。
変わるきっかけとなったのが1…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル