がんと闘って3年8カ月、先月10日に82歳の生涯を閉じた映画作家の大林宣彦監督は戦時中に生まれ、多彩な作品を通じて平和を訴えた。昨年夏には、国際平和シンポジウム「核兵器廃絶への道」(広島市、広島平和文化センター、朝日新聞社主催)に登壇。次世代に何を伝えたかったのか、その思いをふりかえる。
広島市で昨年7月27日に開かれた国際平和シンポジウム。大林監督は、戦争と広島原爆をテーマにした「海辺の映画館―キネマの玉手箱」の一部カットを初公開し、俳優・東ちづるさん(59)と対談した。
《原爆投下の2週間前、軍医だった父と一緒に広島市内にいたんです。(広島県産業奨励館だった)原爆ドームの丸い屋根を電車の窓から眺め、子ども心に「ああ、これが人間の誇る文明社会の成果だなあ」と。それが破壊の象徴になったことは、人生に大きな衝撃と変化をもたらしました》
日中戦争のさなかの1938年、広島県尾道市の医師の家系に生まれた。終戦時は国民学校2年、7歳。軍国少年だった体験に触れつつ、戦後生まれの東さんに語りかけた。
《戦争を知っている世代と知らない世代が対談すると、違和感が出てくる。そこから何を探り出していくか。想像力であれ体験であれ、私ならこう考えるというのが一番大事。「私はこう考えます」、「あなたはどう考えますか」と対話することが本当に平和に進める道だと思うんです》
「時をかける少女」「転校生」など、叙情性と遊び心を持つ作品を撮り続け、「映像の魔術師」と称された。晩年、戦争を語り継ぐべき責任があるのに、伝えてこなかった「うかつ世代」だと、折に触れて語るようになった。
《(戦争について)日常的に話せるようにしましょうよ。「戦争の時、あんたいくつだった、何してた」「大根食べてた」でもいい。みなさん、平和についての一行詩をお作りになったらいかがでしょう。今日の一行、明日の一行を。「そこのアリンコよ、一緒に生きようね」でもいい》
後半でも、大林監督の力のこもったメッセージが聞けます。東ちづるさんの寄稿もあります。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル