大津波からの避難訓練、自力で助かるのか 車いすの記者が参加したら

 東日本大震災の津波で目立った障害者や高齢者らの逃げ遅れを減らす取り組みは、どこまで進んだのか。被災地の教訓は、おのおのがばらばらに逃げる「てんでんこ」。車いすで生活する記者(26)が訓練に参加し、避難のあり方を考えた。

 2023年11月中旬の早朝。記者は、岩手県大槌町吉里吉里地区の住宅地にあるコンビニ店駐車場で合図を待っていた。

 「訓練、大地震です」

 防災無線から大津波警報を知らせるアナウンスが流れた。地元の参加者約10人とともに、車いすを力いっぱいこぎ出す。

 家族と手をつなぐランドセル姿の児童や同級生と走る子どもたちと一緒に向かうのは、約200メートル先の高台にある一時避難場所、三陸鉄道の吉里吉里駅前広場だ。途中に50メートルほどの坂があり、自力で避難できるかを確かめるのが参加の狙いだった。

 数分後に坂の登り口に着いた。緩やかだと思っていた勾配がだんだんきつくなる。車輪が重く、速度が落ちる。

 すると、居合わせた40代の男性が「大丈夫か」と後ろから押してくれた。一気に腕が楽になった。「ありがとうございます」と頭を下げた。

 だが、坂の終盤には20段以上ある階段が待ち構えていた。20分以内の到着を目標としていたが、「これは無理だ」。どうしようか悩んでいた時、別の50代男性が「手伝います」と加勢してくれた。2人で「せーの」と私ごと車いすを持ち上げ、運んでくれた。「よいしょ、よいしょ」

 心の底から頼もしかったが、不安は拭えない。実際の災害時には助ける側にもリスクがある。自分は助けを求められるか。はってでも上れたか――。

「あなたも助からなかったでしょうね」

 秋田県で生まれ育ち、中学生…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment