消防団員や報道関係者ら43人が死亡・行方不明になった雲仙・普賢岳(長崎県)の大火砕流から30年を迎えた3日、地元の同県島原市では、雨の中、市主催の犠牲者追悼式が営まれた。
大火砕流のあった1991年6月3日も雨だった。発生時刻の午後4時8分にサイレンが鳴り響くと、犠牲者遺族や市民らが黙禱(もくとう)した。各小学校でも追悼行事が催され、市内は犠牲者を悼む祈りに包まれた。(小川直樹)
鎮魂の被災地ぬらす涙雨
当時、島原市長として陣頭指揮にあたった鐘ケ江管一さん(90)は、被災者が集団移転した仁田団地であった市主催の追悼式に参列。ゆっくりと献花台まで歩き、花をたむけた。「悔やまれて仕方なかった。毎日亡くなった方のご冥福を祈ってきた」。30年前と同じ雨空に「涙雨ですね」と話した。
発生時刻の午後4時8分には市内全域でサイレンが鳴った。消防団員が犠牲になった北上木場農業研修所跡地では、遺族が普賢岳に向かって黙禱(もくとう)。父を亡くした福岡市の会社員山下優樹さん(42)は「あの日を忘れることは決してない。子どもにも大事な日だと教えていきたい」と話した。
撮影ポイントだった「定点」では、多くの報道陣が巻き込まれた。日本テレビのカメラマンだった弟を亡くした和歌山市の会社経営小村哲也さん(58)はサイレンとともに手を合わせた。「最後まで仕事を全うした弟を誇りに思う。報道で命を落とす人が少しでもなくなることを祈りました」
拡大する雲仙・普賢岳噴火災害から30年。降りしきる雨の中、「定点」に花を供え手を合わせる報道関係者の遺族たち=2021年6月3日午後3時55分、長崎県島原市、吉本美奈子撮影
拡大する消防団員などが犠牲となった「北上木場農業研修所」跡を訪れ、手を合わせる遺族ら=2021年6月3日午後3時53分、長崎県島原市、金子淳撮影
拡大する雲仙・普賢岳噴火災害から30年。降りしきる雨の中「定点」では手を合わせる人の姿が見られた=2021年6月3日午後3時5分、長崎県島原市、吉本美奈子撮影
なぜ夫が…割り切れない思い今も
「私たち遺族は、深い悲しみを背負いながら過ごしてきました」
追悼式で、島原市の大町寿美さん(64)は遺族を代表してあいさつした。消防団員の夫安男さん(当時37)を失い、子ども3人を懸命に育てた30年だった。
葉タバコ栽培と酪農を家族で営んでいた。大火砕流が起きる前に比較的小規模な火砕流が相次ぐと、安男さんは、最も山に近い上木場(かみこば)地区の消防団の応援で頻繁に出かけた。ある日、「自分は消防団員。何かあったら本望だよ」と口にした。寿美さんはこう返した。「残された人はどうすっと?」
1991年6月3日夕方。上…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル