大田司令官の頭骨に向き合った父娘 自決の父にも責任が

 76年前の1945年6月、沖縄の地下に掘られた洞穴で、一人の軍人が自ら命を絶ちました。海軍司令官の大田実中将。残された子や孫は、故人への思いを抱えながらそれぞれの道で「平和」を目指しました。今回は教師となって平和教育に取り組んだ長男とその娘が登場します。

 沖縄戦の海軍司令官だった大田実氏の四女で、5月に90歳で亡くなったオーモンドソン大田昭子さんの葬儀は、ニュージーランドからオンラインで配信された。広島県廿日市(はつかいち)市に住むめいの甲斐(かい)明子さん(59)は、広島市内の兄の家で母と3人で見届けた。

沖縄県民斯ク戦ヘリ 遺された戦後 大田中将一家 それぞれの道

 葬儀後、母と一緒に広島県呉市の郊外に向かった。海を見渡す石垣の上に、市営住宅が並ぶ。祖母かつさんやおじ、おばが終戦の数年後から暮らした場所だ。平屋から建て替えられていたが、「石垣は変わらないね」と懐かしんだ。

 高校時代、この場所で祖父実氏のしゃれこうべを見せられた記憶がある。祖父の三十三回忌にあたる1977年のことだ。その時は現実味がなかったが、いまはある思いを抱いている。

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 祖父の頭骨が家族のいる呉市…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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