78年前の1945年8月2日、富山大空襲は終戦の2週前だった。その語り部で富山市の佐藤進さん(88)の娘と孫が今年、活動を受け継ぐ準備を始めた。戦争の体験者が減るなか、3世代でバトンをつなぐ。
空襲の時、佐藤さんは10歳。父は兵隊に取られ、一家は母と兄、妹。警報で自宅庭の防空壕(ごう)に入ったが、「危ない」と田んぼへ。さらに近くの小川に兄と飛び込んだ。母と妹も続いた直後、焼夷(しょうい)弾で辺りは火の海に。「数秒遅れたら助からなかった」。焦土の街で、黒こげの犠牲者や無残な光景を多く見た。
2001年、近所の中学生に頼まれて体験を語った。以後、学校などでの出前講座は約260回。聞いた人は、今月で延べ2万人に達する。
バトン受け継ぐきっかけは……
佐藤さんがバトンを託すのは、次女の西田亜希代さん(53)と孫娘の七虹(ななこ)さん(15)=富山市立芝園中学3年=だ。
富山大空襲 1945年8月2日未明、米軍のB29爆撃機170機以上が約2時間にわたり、大量の焼夷弾を富山市に投下。一夜にして目標の99.5%を破壊した。死者は推定3千人。同じ時期に新潟県長岡市、東京都八王子市、水戸市も空襲された。
きっかけは、佐藤さんが数年…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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