米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手(29)が花巻東高時代の2012年夏、岩手大会で投げた160キロの直球は当時、高校野球最速記録を塗り替えて話題となった。その一球は、真っ向勝負に敗れた元球児にとっても、人生の大切な一部となっている。
大谷選手が米国で本塁打王争いを独走中の9月上旬、駅員の鈴木匡哉(まさや)さん(28)は福岡市北東部にあるJR香椎駅のホームにいた。配属されて9カ月が過ぎ、水色の制服は体になじむ。指さし確認で列車を見送るしぐさも板についてきた。
11年前の夏、日米のスカウトが注目する大谷選手と岩手大会の準決勝で相まみえた。一関学院のエースの鈴木さんは7点を追う六回表2死一、三塁で左打席に立った。「絶対に打ってやる」。バットをくるくる回し、軽く息を吐いて構えた。
初球は157キロ、4球目は159キロ。直球だけでフルカウントに追い込まれたが「ワクワクしていた。次も真っすぐでくる」。6球目、内角のひざ元ギリギリを突かれた。一瞬だった。バットは出ず、見逃し三振に倒れた。電光掲示板には「160キロ」と表示されていた。
「うなるような直球で、気持…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル