1985年の大阪・西成。差別や貧困の中で生き方を模索する子どもたちと、その姿に寄り添い続けた教師がいた。当時の実話を元に7年がかりで完成した映画「かば」が、大阪や京都で近く公開される。
舞台は85年の夏、大阪市西成区の公立中学校。被差別部落の子、在日コリアンの子、沖縄にルーツをもつ子が多いこの学校に赴任した新人女性教師は、やんちゃな生徒たちに相手にされずに悩む。先輩の「かば先生」も「昔、俺の先輩がな、子どものことわかってると思ったらもう教師は終わりや言うてたわ」と慰めつつ、自らも生徒たち、親たちに正面から向き合う毎日を送っていた――。
亡くなった蒲先生がモデル 「どんな子も受け入れた」
「かば先生」にはモデルがいる。在職中の2010年に58歳で病死した蒲(かば)益男さんだ。岐阜県出身で早くに父親を亡くし、弟たちの親代わりをしつつ苦学して中学校教師になった。映画の舞台の中学校には1982年から6年間勤め、通夜・葬儀には教え子ら約750人が訪れたという。
同僚教師だった古川正博さん(67)は、「親に見捨てられた」と言って施設を抜け出した蒲さんのクラスの女子生徒を捜しに、一緒に夜の街を歩き回ったことが忘れられない。「蒲はどんな子でも受け入れる、あったかく優しい人だった」
映画のエピソードには古川さんらの実体験も反映されている。同級生にリンチされた在日の生徒の自宅を、かば先生が訪れる場面。生徒の部屋に入ろうとして親族に階段から突き落とされ、玄関に倒れ込むが、これは古川さんの体験の一部が元になった。
「かば先生」のモデルは、亡くなった蒲益男さん一人だけではなかった。生徒の祖父に怒鳴られ土下座した。被差別経験を生徒から打ち明けられた――。記事後半では、子どもや親から「本気」を試された日々を、教師たちが振り返ります。
■「若い教師に、在日のことわ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル