太平洋戦争末期の大阪大空襲から13日で75年。これまで注目されず「空白」となってきた歴史を埋めようという動きが出てきた。当時大阪に多く暮らしていた朝鮮半島出身者や沖縄出身の人たちの被災状況を調査したり、追悼したりする活動だ。
朝鮮人の手記、見つからず
一夜で約4千人が亡くなった1945年3月13~14日の第1次大阪大空襲から75年となる13日、堺市の自営業、呉時宗(オシジョン)さん(79)は自宅で犠牲者に思いをはせた。
在日コリアン2世。戦前に渡日した現在の韓国全羅南道出身の両親のもとに生まれた。1月、歴史研究者らが参加する「大阪空襲被災者運動資料研究会」の依頼で、初めて横山篤夫代表(78)に体験を語った。
【動くパノラマ】空襲翌日の大阪道頓堀=1945年3月14日
当時4歳。深夜に母の手に引かれて、炎に包まれる大阪市西成区を走って逃げた記憶は鮮明だ。2歳の妹も一緒だった。「空が夕焼けのように真っ赤に染まった。父は警防団の腕章をまいて消火に協力したが、燃えさかる火に水は届かなかった」
家族や親戚で空襲で亡くなった…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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