大阪・西成区の庄司賢一さん(67)は、およそ5年、住む家のない生活を送っている。「千円札1枚。あとは小銭が1000円ほどあるかな。大体1000円あったら1日いけるから。だから明日までいけるわな」。そして、手で首を締める動作をしながら、「ははは、これしなくて済む」と笑う。
【動画】I link … ~あいりんに取り残された労働者達~
14歳の時に集団就職で長崎から大阪へ出た庄司さん。結婚もしたが、妻は早くに亡くなり、以来30年間、一人身だ。仕事を求めて流れ着いた西成で、5300円の清掃の仕事を週に2回している。寝る場所は地域のNPOが貸し出すベッドだが、無料とあって毎日夕方には多くの人が押しかける。みな、自分の居場所を探しながら、その日その日を過ごしているのだ。
■“労働者のための建物“「あいりん総合センター」閉鎖に怒声
庄司さんが暮らす「あいりん地区」は、国内最大級の日雇い労働の町として知られ、高度経済成長の頃から、仕事を求め労働者達が全国から集まる。一方で、労働者達は社会への不満を度々爆発させてきた。また、賭博や薬物といった犯罪も横行、警察は治安対策として集中的に取り締まりを行ってきた。
そんな地区を象徴するのが、1970年に国や大阪府が日雇い仕事を取り纏めるために建てた「あいりん総合センター」だ。地上4階建てで、1階の“寄せ場“とよばれる場所には仕事を求める労働者が押し寄せ、多い時には年間180万人が利用した。上の階には市営住宅と病院も併設されており、まさに労働者のための建物だ。
この日も、労働者が仕事を求め寄せ場にやってきた。業者と合意できれば、そのまま現場へと向かうが、労働者の高齢化が進み、仕事にありつけない人も少なくない。まだ働ける労働者も必死で、夜勤明けで、「まだもう1本働く」と話す人もいた。
そしてセンターの3階は、仕事も家もない人の居場所となっていた。休んでいた労働者は「一般人の目がないし、寝てても何にも言われへんし、ある意味天国ですよね」と明かした。
しかし、建てられてからおよそ半世紀。建物は老朽化し、耐震性の問題が出てきため、今年3月をもって閉鎖されることが決まった。6年がかりの建て替えの間、寄せ場は隣の敷地に仮移転、労働者が体を休めるための場所も別に用意された。行政側は閉鎖を前にセンターで寝ている人に手をさしのべるが、支援や生活保護を受けようとせず、居残りを希望する人も少なくなかった。利用者の一人は「はっきり言って排除や。それは明白や」と苦笑していた。
そして迎えた3月31日。閉鎖に納得できない一部の労働者と、その支援者が反対運動を起こした。姿を現した大阪府の職員に、「帰れ!」「あんこ(労働者)のおっちゃいじめたらあかんで!」と怒声が飛んだ。この日、大阪府は建物を閉鎖することができなかった。
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Source : 国内 – Yahoo!ニュース