大震災伝える100年前の週刊朝日、「末代保存」と記した祖父の思い

 死者・行方不明者10万5千人以上を出した100年前の関東大震災の直後に、惨状を収めた多数の写真とともに報じた写真グラフ誌や週刊朝日が、石川県加賀市の民家に保存されていた。冊子の末尾には、祖父の名前などとともに、「末代(まで)保存」と記されていた。

 朝日新聞社史編修センターによると、見つかった写真グラフ誌は、大阪朝日新聞社が1923(大正12)年9月25日に発行した「大震災寫眞(しゃしん)画報 第二輯(しゅう)」(B4判相当、32ページ)と、同年9月9日発行の「週刊朝日」(28ページ)。画報は表紙や裏表紙が欠落していた。

 画報には、火災で煙を上げる横浜や東京・本所付近の空撮写真のほか、焼け野原になった上野や浅草などの写真が多数掲載されている。週刊朝日は「死屍(しし)累々生(いき)地獄の如(ごと)し」などの見出しが見える大阪朝日の第2号外を表紙にあしらい、中面には「足柄山中街道の亀裂」と記された地割れの写真や、刻々と届く惨状を記した記事や、「本邦は世界の地震国」と題した解説記事などが並ぶ。

 二つの冊子は、加賀市の建設業、前田利彦さん(67)が、母方の叔父の遺品として3年前に譲り受けた。古雑誌の束の中に入っていたという。関東大震災から100年の節目を報じるテレビ番組の映像を見て、同じような写真があると朝日新聞金沢総局に連絡を寄せた。

 週刊朝日の裏表紙には、利彦さんの母方の祖父・高木正男さんの名前と金沢市の住所とともに、「末代保存」と記されていた。

戦艦三笠の乗員だった祖父が残した資料

 利彦さんによると、冊子を購…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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