かつて、多くの家の屋根にあった太陽熱温水器。ここ最近は太陽光発電ばかりがもてはやされて、すっかり日陰の存在、もしくは過去の遺物のように思われているが、世界的に見れば太陽利用の優等生として活用が進み、2050年のカーボンニュートラルを掲げた日本でも無視できない存在になりつつある。再びの復権はあるのか。どこで生まれ、どんな歩みをたどってきたのか。ルーツを訪ねた。
真っ赤に燃えた太陽のようなボディーカラーで知られる名鉄に乗って名古屋駅から南東へ20分、知立(ちりゅう)駅に降り立った。高架化と駅前再開発の大規模工事が同時に進み、駅前は重機の音が絶え間なく響いている。
空はすっかり高いのに、駅前ロータリーには夏のような日差しが注いでいた。工事の人たちはたくましく日焼けしている。「太陽の町」に来たんだなという思いを強くする。
愛知県中部、西三河の知立市は、東海道の39番目の宿場町「池鯉鮒(ちりゅう)」として栄えた町として知られる。だが、お天道様と深い関係を結んできたことはほとんど知られていない。脱炭素だ、ソーラー発電だと世間が騒ぎ立てるずっと前から、太陽熱利用の先進地として時を刻んできた。
駅から歩き始めてまだ数分だというのに、その証しともいうべき建築物を見つけた。踏切近く、2階建てのアパートなのだが、一見して普通ではない。ひと部屋ごとのベランダの外壁に温水器が据え付けてあるのだ。1階、2階にそれぞれ7台。計14台が南の空にそろって向いている様は壮観だ。すぐそばにはこの温水器アパートをつくったチリウヒーターが本社を構える。創業1944年、日本で最も長い歴史を持つ太陽熱温水器専門メーカーである。
知立市は今の安城市など周辺自治体と併せてかつて、碧海(へきかい)郡と呼ばれた。うるわしい名前とうらはらに、碧海台地は長らく不毛の地と呼ばれた。そこに1880(明治13)年、明治用水が開削されて矢作川の水が引かれると、荒野は美田広がる沃野(よくや)に変わった。そして戦後間もなく、画期的な発明品がもたらされる。
名を「天日タンク」という…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル