夫婦二人三脚で営んだ40年 真っ赤な太陽の壁画、街の銭湯最後の日

【LastDay】銭湯藤乃湯、最後の1日に密着=関田航撮影

 閑静な住宅街にある、創業90年以上の銭湯が7月、閉業した。銭湯の名は「藤乃湯(ふじのゆ)」。店主の藤田和男さん(76)と妻ののり子さん(74)が、夫婦2人で長年切り盛りしてきた。

 東京都杉並区。JR中央線の荻窪駅から歩いて7分ほどの場所に藤乃湯はある。営業を終えた現在は看板が外され、昭和の雰囲気を残す建物と、役目を終えた煙突がひっそりとたたずんでいる。最後の営業日になった7月3日、多くの地元客や銭湯ファンが名残を惜しんだ一日に密着した。

 正午ごろ、2人は藤乃湯の入り口の壁に、手書きのお礼のメッセージを貼ったり、昔ののれんを飾ったりして、最後の営業の準備を始めていた。

 藤乃湯は戦前、大正末期から昭和初期に建てられた、杉並区では最も古い時期から営業していた銭湯の一つだ。かつては別の経営者が営んでいたが、1982年に売りに出されていたのを和男さんが買い取った。当時36歳。のり子さんと2人で始めた、念願の銭湯経営だった。

 関東近郊の銭湯は富山、新潟、石川など、北陸地方の創業者が多い。和男さんの父も富山県出身で、東京都三鷹市で銭湯を経営していた。10代の頃は実家を手伝い、働き者の父のもと、銭湯経営の大変さを身に染みて感じる青春時代を送った。「あまりにも大変だったから、一度煙突に登って『飛び降りてやる』って脅したことがあったよね。そしたらおやじは『おう飛び降りろ、食いぶちが1人減ってこっちは助かる』と叫び返されて、もうぐうの音も出なかった」と懐かしむ。

 午後4時、最後の営業が始まった。

 次々とお客さんが入ってくる。フロントに座るのり子さんの胸には、始業前、孫からもらった、手作りのメダル。「おばあちゃん おふろやさんおつかれさまでした」とメッセージが書かれている。

 のり子さんの父も富山県出身。練馬区の銭湯で店主をしていたが、経営者は親戚で、銭湯業界では「あずかり」と呼ばれる低い立場だった。そんなのり子さんとの結婚に、和男さんの家族は反対した。和男さんは実家を飛び出し、佃煮(つくだに)を作ったり手芸店を営んだり、仕事を転々とした。「だけどやっぱり風呂屋の息子なんだろうね」。いつしか2人で経営できる銭湯の物件を探すようになった。

「真っ赤な太陽に救われた」 赤い銭湯絵のモチーフ

 藤乃湯の特徴の一つに、赤く…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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