妊娠8カ月だった母、真っ黒な体に 手も握れぬまま

 広島と長崎に原爆が投下されてから、この夏で75年になります。朝日新聞は被爆60年にあたる2005年から今年まで5年ごとに、被爆者の方々にアンケートを依頼し、体験や思いを記事にしてきました。過去4回のアンケートすべてに答えてくれたのは155人。その方々に、次世代や世界へ伝えたいことを聞きました。

石原照枝さん(83)=熊本市

 自宅は長崎の爆心地から約500メートル。私は8歳上の姉、3歳上の兄と疎開していましたが、母は自宅にいました。妊娠8カ月だった母は洗濯物を干していた時に爆風で吹き飛ばされました。全身黒こげになり、死産した子とへその緒がつながったまま、三日三晩はって、自宅の焼け跡まで戻ったそうです。父が8月13日、疎開先まで母を連れてきました。母は何度も「てるちゃん」と私の名前を呼びました。真っ黒な体にウジ虫がうごめく。その姿を見ると母が化け物のように思えて、手を握ることさえできませんでした。終戦の翌朝、母は死にました。

 私はその後自宅近辺に戻って放…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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