フリーアナウンサーの内田恭子さんは10年前の東日本大震災直後から、宮城県女川町の保育所で、絵本の読み聞かせを続けてきた。初めて町を訪れたのは、震災から2カ月後。ボランティアの受け入れ態勢が整い始めたころだった。
〈うちだ・きょうこ〉1976年生まれ。学生時代の多くを米国で過ごした。慶応大卒。2児の母。アナウンサーで活躍したフジテレビを06年に退社、フリーアナウンサーに転身した。その後、プライベートで読み聞かせグループ「VOiCE」を設立した。
「私にもなにかできないか」とニュース映像を見ていてもたってもいられなくなって子育て中の友人たちに連絡すると、みな同じ思いを抱いていました。
当時はちょうど長男を産んだばかりで、とにかく子どもを守らなくてはという気持ちが芽生えていたんだと思います。車に食料を詰め込んで、知り合いが紹介してくれた女川の避難所に数人と向かいました。初めての炊き出しです。町の様子に何も言葉が出なくて、「2、3年でどうにかなるものではない」と痛感しました。
《その夏に女川の保育所を紹介されて以降、年2回の訪問と読み聞かせが恒例になった》
モットーは「無理せず…」
きっとご家族を亡くされてつら…
2種類
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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