畜産をしていて、喜びを感じるのは無事に子牛が生まれた時だけだ。
難産で死んでしまうときもあれば、いざ生まれても乳を飲まないこともある。
子牛を抱きかかえて母牛の乳の方に近づけていく。
ぬくもりを感じながら、手を添えて育てていくのが当たり前だった。
待望のメスの子牛が生まれたのは、東京電力福島第一原発事故から10日後のこと。
子牛は「希望(きぼう)」と名づけた。
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松本信夫さん(70)の畑は、掘れば掘るほど石が出てきてしまう。
父から受け継いだ福島県葛尾村の土地は畑作に適さなかったから、放牧しながら子牛を育て販売する肉用牛の繁殖経営をしていた。
だから、手はいつもタコがいっぱいでボコボコ。
山に行って大きな声を出せば、数キロ離れていても牛たちは自分の所にダッシュで集まる。
「牛は俺の声を覚えている」
それが自慢だった松本さんは、村人からの信頼も厚く村議としても働いた。
牛を避難させたい
自宅は、東京電力福島第一原発から直線距離で29・8キロだった。
事故後、防災無線から避難の準備が呼びかけられた。
その時は、テレビをつけても…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル